「AIがここまでできるようになったら、人に教えてもらう必要ってなくなるんじゃない?」
最近、ChatGPTといろいろなことをやっていて、そんなことを考えることがあります。
文章を書いてもらえる。
分からないことを教えてもらえる。
相談もできる。
勉強だってできる。
僕の場合は、ChatGPTと話しながらブログ記事を書くだけじゃなく、ツールを作ったり、教材を作ったりするところまで来ました。
昔だったら、
「これは詳しい人に教えてもらわないと無理だろうな」
と思っていたことが、今は、
「これできる?」
から始められます。
じゃあ、人に教えてもらう必要はなくなるのか?
最初は、そんなふうにも思いました。
でも昔の自分を思い出していたら、
「いや、そんな単純な話じゃないな」
と思ったんです。
きっかけは、昔受けていた韓国語の個人レッスンでした。
僕は1時間3,000円を払って、韓国人の先生に韓国語を教えてもらっていました。
今ならChatGPTに韓国語を教えてもらうこともできます。
だったら、
「昔払ったお金、今ならいらないじゃん!」
となりそうですよね。
でも違ったんです。
僕、韓国語を覚えたいだけじゃなかったんですよ。
実際の韓国人としゃべってみたかった。
しかも先生を写真で選べたので、
可愛い子を選びました(笑)。
さらに、この話にはオチがあります。
僕がレッスンを辞めたんじゃありません。
先生が結婚して、レッスンを辞めちゃったんです(笑)。
普通、こういうのって生徒が辞めません?
僕の場合、先生が先に辞めました。
そして僕も、そのまま個人レッスンをやめました。
この昔話をChatGPTとしていて、気づいたんです。
もしかすると僕たちは、
「できる・できない」だけで、人やサービスを選んでいるわけじゃない。
AIにできることが増えても、人がいらなくなるとは限らない。
今回は、実際にChatGPTといろいろなことをやるようになった僕が感じている、
AIと人の違い
について書いてみます。
昔の僕は韓国語を勉強するために教材を買っていた
僕は以前、K-POPのブログをやっていました。
そうすると当然、韓国語が気になります。
歌詞を見ても韓国語。
韓国のサイトを見ても韓国語。
動画を見ても韓国語。
「韓国語が分かったら、もっと面白いだろうな」
と思ったんです。
そこで韓国語の教材を買いました。
何万円もする教材を買ったこともあります。
今なら、
「ChatGPTに聞けばいいじゃん」
と思うことも、当時は教材を買って勉強していました。
でも、それだけではありませんでした。
僕はさらに、
韓国語の個人レッスン
まで受けることにしました。
1時間3,000円で韓国人の先生に教えてもらった
僕が受けていた個人レッスンは、1時間3,000円くらいでした。
一回だけではありません。
何度も受ければ、当然それなりのお金になります。
今ならChatGPTを使って、
「今日は韓国語の先生になって」
と頼むこともできます。
分からない単語を聞くこともできる。
文章について質問することもできる。
会話の練習だってできます。
そう考えると、
「今なら3,000円払わなくても勉強できるじゃん」
と思います。
実際、韓国語を勉強することだけを考えれば、昔よりずっと始めやすくなったと思います。
でも、昔の自分をよく思い出してみると、目的はそれだけではありませんでした。
僕は「本物の韓国人としゃべってみたかった」
韓国語を覚えたい。
これは本当です。
教材を買ったのも本当。
勉強したかったのも本当。
でも同時に、
韓国人と実際にしゃべってみたい!
という気持ちもありました。
K-POPブログをやっていて、韓国に興味を持っている。
だったら実際に韓国の人と話してみたい。
これは教材ではできません。
だから個人レッスンにも興味を持ったんだと思います。
つまり僕が1時間3,000円で買っていたものは、
韓国語の知識だけではなかった
んですよね。
実際の韓国人と会話する。
その時間そのものにも価値を感じていたんだと思います。
しかも僕は写真を見て可愛い先生を選んだ(笑)
さらに正直に言うと、その個人レッスンは先生を選べました。
写真も載っていました。
だったらどうするか。
僕は、
可愛い先生を選びました(笑)。
これを今になって考えると、すごく分かりやすいんですよね。
もし僕が欲しかったものが、
「韓国語の文法を正確に教えてくれる機能」
だけだったなら、先生の写真なんて関係ありません。
一番教えるのが上手な先生を選べばいい。
でも僕は写真も見た。
そして、
「この先生がいい」
と選んだ。
つまり最初から、僕が求めていたものは「韓国語を教えてもらう」という機能だけではなかったんです。
そして生徒ではなく先生が辞めた
この韓国語レッスン、最後がちょっと変わっています。
普通、習い事を辞めるときって、
「忙しくなったので……」
「時間が取れなくなって……」
「ちょっとお金が……」
と、生徒側が辞めることが多いと思います。
でも僕の場合は違いました。
先生が結婚したんです。
そして、
レッスンを続けられなくなると言われました。
つまり、
先生の方が辞めた(笑)。
「普通、逆じゃない?」
と今でも思います。
そして先生がいなくなったあと、僕はどうしたか。
別の先生を探して韓国語レッスンを続けた……
わけではありません。
僕もそのままやめました。
本当に韓国語だけが目的なら別の先生を探したはず
これ、今考えると面白いんです。
もし僕の目的が、
「何が何でも韓国語を習得する」
だけだったら、先生が辞めても別の先生を探せばいいですよね。
個人レッスンそのものがなくなったわけではありません。
別の先生はいたはずです。
でも僕は探さなかった。
もちろん、そのときの状況や気持ちもあったと思います。
ただ、今振り返ると、
その先生と韓国語を勉強すること自体が楽しかった
という部分もあったんじゃないかと思います。
だから、
「別の人でも同じ機能が提供されるなら問題ありません」
とはならなかった。
人が提供しているものって、そんなに単純じゃないんですよね。
教材を買ったことも無駄だったとは思っていない
だからといって、
「教材なんて買う必要なかった」
とも思っていません。
僕は実際に教材を買いました。
個人レッスンも受けました。
それぞれに違うものがあったと思っています。
教材なら、自分の好きなときに勉強できます。
順番に学ぶこともできます。
何度も読み返せます。
個人レッスンなら、その場で聞けます。
人と話せます。
相手の反応があります。
そして今なら、そこへChatGPTという選択肢も加わりました。
だから、
教材か、人か、AIか。
どれか一つだけが正解という話ではないと思っています。
今ならChatGPTと韓国語を勉強すると思う
もし今、僕がもう一度韓国語を勉強したくなったら、まずChatGPTに話してみると思います。
いきなり何万円もする教材を買う前に、
「韓国語、またやってみたいんだけど」
から始める。
何を覚えたいのか。
どのくらい覚えているのか。
K-POPの歌詞を理解したいのか。
韓国の人と話したいのか。
旅行で使いたいのか。
そんなことを話してみる。
そして、
「じゃあ今日はこれやってみよう」
となったら、やってみる。
分からなかったら聞く。
もう少し簡単にしてほしかったら、
「もっと簡単に」
と言う。
これは、昔よりずっと手軽です。
だからAIを使えるところでは、どんどん使えばいいと思っています。
でも「韓国人と実際に話したい」は別だった
一方で、
「本物の韓国人と話してみたい」
となったら話は別です。
ChatGPTと韓国語で会話することと、実際の韓国人と話すこと。
同じ「韓国語で会話する」でも、僕にとっては同じではありません。
相手がいる。
表情がある。
反応がある。
その人自身の経験がある。
そして僕の場合は、
「この先生と話してみたい」
まであった(笑)。
だから、
AIでできるようになった=人に頼む価値がなくなった
ではないんですよね。
何を求めているかによって変わります。
ChatGPTを使うようになって人に頼むことは減った
とはいえ、AIを使うようになって変わったことはたくさんあります。
僕の場合、
「これって人に頼まないと無理かな?」
と思うことがかなり減りました。
今ならまず、
「これできる?」
とChatGPTに聞きます。
たとえばツール。
以前なら、
「こんなツールが欲しい」
と思っても、
作り方が分からない。
誰かに頼む?
いくらかかる?
そもそも、こんな小さなアイデアを依頼していいの?
そんなことを考えて、やらずに終わっていたかもしれません。
でも今は、
「こんなの作れる?」
から始められます。
ChatGPTと話していたら本当にツールまでできた
僕はプログラムを専門にしている人間ではありません。
それでもChatGPTと話しながら、
「ここをこうしたい」
「これ使いにくい」
「もっとこうならない?」
とやっているうちに、自分で使うツールができました。
最初から大きなものを作ろうとしたわけではありません。
目の前に、
「これ面倒だな」
があった。
だから、
「これ楽にできない?」
と聞いた。
やってみた。
動いた。
できた!
そうすると今度は、
「じゃあ、これもできる?」
となる。
また作る。
この繰り返しです。
とうとう教材まで作って販売した
さらにChatGPTと話しているうちに、
「このやり方そのものを教材にできるんじゃない?」
という話になりました。
そこから教材を作りました。
LPも作りました。
販売できる状態にしました。
そして実際に販売を始めました。
これも最初から全部計画していたわけではありません。
一個できる。
次が見える。
また、
「これできる?」
と話す。
そして、
できた!
を繰り返した結果です。
僕にとっては、このChatGPTとのやり取り自体がかなり楽しいんです。
じゃあ人はいらなくなったのか?
ここで最初の話に戻ります。
ツールまで作れる。
教材まで作れる。
記事も書ける。
分からないことも相談できる。
だったら、
「もう人なんていらないじゃん」
となったのか?
なりませんでした。
むしろ僕は、作ったものを見て、
昔お世話になった人に見せたい
と思っています。
昔、ブログや文章について教えてもらった人。
当時の僕を知っている人。
そんな人に、
「今、こんなの作ってるんですよ」
って見せたい。
これって面白いですよね。
AIとふたりで作れるようになったのに、
できたら今度は人に見せたくなったんです。
「できた!」の次には「見て!」があった
考えてみると、これは特別なことではないのかもしれません。
何か作った。
うまくできた。
すると、
「見て!」
って言いたくなる。
子どものころだってそうですよね。
絵を描いた。
工作を作った。
何かできるようになった。
すると、
「見て見て!」
となる。
大人になっても、あまり変わらないのかもしれません。
僕もツールができたらうれしい。
教材ができたらうれしい。
記事を公開できたら、
「できた!」
となる。
そして、その次に、
「誰かに見てもらいたい」
が出てくる。
AIがそれを消したわけではありませんでした。
そもそもブログで人に見せていた
そして、もっと単純なことに気づきました。
僕、
ブログで公開してるじゃん(笑)。
記事ができた。
公開する。
誰かが検索してくる。
読んでもらう。
つまり最初から、
AIとふたりだけで完結していない
んですよね。
ChatGPTとふたりで記事を作る。
でも読むのは人。
ツールを作る。
紹介する相手は人。
教材を作る。
使ってもらう相手も人。
AIと一緒にできることが増えても、その先には人がいました。
ブログは「できた!」を見せる場所でもある
ブログというと、
「アクセスを集めるもの」
「SEOで上位表示するもの」
「アフィリエイトで稼ぐもの」
「商品を販売するもの」
というイメージがあります。
もちろん、それもブログです。
僕自身、収益につながったらうれしいです。
でも、それだけではないと思っています。
もっと単純に、
「こんなのできたよ!」
を公開する場所でもいい。
趣味で作ったもの。
勉強したこと。
試してみたこと。
失敗したこと。
AIと一緒に作ったもの。
それを記事にして誰かに見てもらう。
これだって立派なブログの使い方だと思います。
収入目的じゃなくてもブログを始めていい
ブログを始める理由も、人によって違います。
副業したい。
収入を増やしたい。
商品を売りたい。
そういう人もいます。
一方で、
「何かやってみたい」
くらいの人もいると思います。
趣味を見てもらいたい。
自分が作ったものを残したい。
勉強したことをまとめたい。
誰かと共有したい。
最初はそれでもいい。
ブログを始めた結果、アクセスが来るかもしれない。
そこから思ってもいなかったことにつながるかもしれない。
場合によっては収入になることだってある。
でも最初から全部決めなくてもいいと思っています。
まず、
「できたから見て!」
でもいい。
AIと人間は競争相手じゃないのかもしれない
AIの話になると、
「AIに仕事を奪われる」
とか、
「人間にしかできないことは何?」
という話になりやすいです。
もちろん、仕事について考えれば重要な問題です。
でも僕自身の日常では、もう少し違うことが起きています。
ChatGPTがあるから、一人でもできることが増えました。
以前なら諦めていたことを、
「これできる?」
と試せるようになりました。
でも、その結果として人との関わりが全部なくなったわけではありません。
むしろ、
人に見せられるものが増えました。
AIとふたりで作る。
人に見てもらう。
反応をもらう。
またAIと話す。
次を作る。
僕の場合は、こんな循環になっています。
AIにはAIとやりたいこと、人とは人とやりたいことがある
韓国語の話に戻ると分かりやすいです。
韓国語の意味を知りたい。
文法を聞きたい。
ちょっと練習したい。
だったら今なら、まずAIを使ってみると思います。
でも、
実際の韓国人と話してみたい。
だったら、人と話す。
まして、
「この先生と話してみたい」
なら、その人でなければ意味がありません。
だから僕は、
AIか人間か
で全部を決めなくてもいいと思っています。
AIとやった方がいいことはAIとやる。
人とやりたいことは人とやる。
そして、
AIと作ったものを人に見せる
という使い方だってある。
僕はいま、それをブログでやっています。
「できた!AIブログ」もAIだけで完結するためのものじゃなかった
僕がChatGPTと話しながら作った教材があります。
「できた!AIブログ」
です。
最初は、
「ChatGPTと一緒にブログをやってみよう」
というところから始まっています。
でも作っているうちに、僕自身もいろいろなことに気づきました。
AIに全部やらせたいわけじゃない。
人を必要なくしたいわけでもない。
自分一人では、
「できない」
で終わっていたところを、
ChatGPTに、
「これできる?」
と話してみる。
一緒にやってみる。
違ったら、
「違う」
と言う。
合ってきたら、
「そうそう!」
と言う。
そして、
できた!
を一個作る。
それをブログで誰かに見てもらう。
僕が楽しいと思っているのは、そんな使い方なんだと思います。
もし、
「AIに何をさせればいいのか分からない」
「ブログをやってみたいけど、一人だと止まってしまう」
「昔できなかったことを、もう一度やってみたい」
と思っているなら、販売ページものぞいてみてください。
「自分ならAIと何ができるだろう?」
と考えるきっかけになったらうれしいです。
AIにできないことを探すより「誰と何をしたい?」で考えてみる
昔の僕は、韓国語教材を買いました。
そして1時間3,000円を払って、韓国人の先生から個人レッスンも受けました。
今なら、その中のかなりの部分をChatGPTに手伝ってもらえると思います。
でも、
「だから昔のお金は全部ムダだった」
とは思いません。
教材を使いたかった。
韓国人と話したかった。
そして写真を見て、
可愛い先生を選びたかった(笑)。
全部、本当です。
その先生が結婚して辞めてしまったら、僕もレッスンをやめました。
今ならChatGPTと韓国語を勉強するかもしれない。
でも、それは当時の先生との時間を置き換えるものではありません。
そして現在。
僕はChatGPTとふたりで記事を書きます。
ツールも作ります。
教材まで作りました。
それが楽しい。
でも、できたら人に見せたくなる。
だからブログで公開する。
結局、
AIができることが増えたから、人がいらなくなったわけではありませんでした。
むしろ僕の場合は、
AIとふたりで「できた!」を作れるようになったから、人に見せたい「できた!」が増えました。
AIにしかできないこと。
人間にしかできないこと。
そんなふうにきれいに分けるより、
「これは誰とやったら楽しい?」
くらいで考えてもいいのかもしれません。
僕は今日もChatGPTと話します。
何か思いついたら、
「これできる?」
と聞いてみます。
そして、できたらまたブログに載せます。
「できたよ!」
って、人に見てもらうために。
